ナニコレデビュー☆このブログがきっかけで塩職人ナニコレ珍百景に!


こちらの記事は、ルーツファクトリー特派員に任命された”暮らしを楽しむ達人”によるブログです。ルーツファクトリーのテーマでもある「暮らしを楽しむ」を題材に、個性あふれる特派員たちが自由なトピックを展開!本日の担当は、宮崎の釜炊き塩職人ネジ特派員。千葉から宮崎最南端串間へ移住して約8年、その軌跡を綴ります。




人生何が起こるかわからないけど、人生はだいたい思った通りになってると感じているネジですどーも。





人生上手くいかねぇ!思った通りにならねぇ!


って言ってる人はその通りになってるわけで。


そんなネジくんがなんと、、、‼︎



『珍衝撃映像バラエティ ナニコレ珍百景』



に出演しますっ‼︎



『ナニコレ珍百景』公式サイトより)


テレビ朝日系列でネプチューンさんが出演している11年も続いてる長寿番組。


長く続いているということは、それだけ多くの国民に愛されているということ。そんな番組に出演できるなんて、、、光栄ですっ‼︎


今回のブログは、自分の過去を振り返って、ナニコレ珍百景出演までの軌跡を記したいと思います。


なんてったって、この特派員ブログが出演のキッカケでしたからね!


では遡ってみましょう。

2011年、養鶏家の夢を抱いた地・千葉を離れ、家族で宮崎へ



2011年に大きく人生が変わりました。


ざっくりこの年を説明すると


1年間に4回引越して、一回出産がありました。


カオス


千葉では築180年の古民家をDIYでリノベーションして暮らしてました。生まれて初めてのDIYですね。(ぼくプラモデルもお母さんに作ってもらうようなめんどくさがりやなのに)


お師匠の有機農家さん(家も野菜も米も自給。元 忌野清志郎さんのエンジニアもしてた優しい熊みたいな人)のところで修行を始めたところだったんだなぁ。


当時の夢は養鶏家。





茨城県の常陸大宮市で有精卵と有機野菜を生産してる人と知り合って、その卵が人生を変えるほど旨くて。こんな卵を自分も作りたい!って思ったんだなぁ。


とにかく、


そんな夢を抱き、夢のような暮らしをスタートさせた我が家。まさかこの土地を離れるなんて夢にも思わなかったのに、、、


東日本大震災が起きた。


この時、我が家の古民家も柳の木のように揺れたけど、幸い被害は無かった。(古民家すげぇ)


だけど連日夜中にサイレンはなるし、心配事は尽きない。


一歳の長男、お腹の中には2人目の赤ちゃんがいる事がわかった。


この心労をこのまま与える事は、我が家にとって良くない。


今はこの土地を離れよう、それがぼくたち家族にとって最善だと思った。


そんな運命のいたずらで西へ西へ。


軽バンに米や工具を詰めるだけ積んで出発した。

友人の言葉を頼りに・・・無農薬のみかん山で二家族と仙人と犬で生活


横浜の友人が旅に出ていてちょうど宮崎に滞在していたんです。


そんな彼に電話で相談したら


〝日本中見たけど、宮崎はトップクラスに豊かなところだよ。頼れる人も紹介するから一度来てみなよ。〟


その一言にすがるように一目散に宮崎を目指しました。


友人が紹介してくれた家族に連れていかれた場所は、宮崎県最南端の無農薬のみかん山の中腹。





初対面の彼は、ヒゲがモジャモジャで太いフレームの眼鏡をかけ、まるで日本人ではない。


〝じゃ、家に案内します〟


って車で後をついて行ったんだけど


こんな山道の先に家なんかあるわけがねぇ‼︎、、、あのかどを曲がったら殺されるんだ。


初対面のおそらく日本人ではない男に案内されたぼくの内心はそう思っていました。


山の頂上まで行き、少し下ったところに着いた。


日向夏畑、大きな桜の木、農業倉庫、平屋民家、塩釜


たしかにそこには人の暮らしがあるようだった。



「ネジ、一緒に働いて欲しい。」



え?


千葉からいきなりやって来たぼくに彼は言った。


「じゃ、この家自由に使っていいからゆっくり休んで下さい!返事は3日後に教えてねー」


予定があった彼の家族は初対面の僕たちに家を解放して旅立って行った。


殺されるどころか、むちゃくちゃ優しい人だった。

(この土地でケツの穴を見せ合うような毎日を過ごした彼の愛称はビンちゃん。数年後、東京でTABILABOを起業して今や日本を面白くする起業家のひとりだ。間近で仕事を見れた事は人生の財産。)


まともに考える事もなく


「はい。」


って返事して、ぼくは最低1年間ここで一緒に働く事になった。(働くといっても何も事業は無かった)


これがぼくの宮崎生活のスタートだった。


急に雇われてしまったぼくはどうにか仕事を作らなきゃいけなくなった。


このみかん山には、塩を炊く文化があったんです。


吉田好男さんという仙人みたいな人の周りにたくさん人が集まって、自分たちで塩を炊いていた。



(ビン&ネジ@2011年)


そのやり方を教えてもらい、自分なりに勉強もして、美味しいお塩が作れるようになった。


もともと商品化しようとは考えていなかったのに〝これなら売れるね!〟って。





右も左もわからないながら、苦節1ヶ月。


『happysalt』の誕生でした。





スタートから濃いでしょ。


あのね、ずっと濃いんだよ。全部。


カルピス原液ずーーーーっと飲んでる感じ。この8年間。


とてもじゃないけどブログで書けるような毎日じゃない。


気になる人は酒持って泊まりに来てくれ。呑み語りましょう。

『宮崎の太陽』ことまーちゃん、そして『家具作りたいおっさん』こと阪井氏との出会い


そ、ナニコレ珍百景までの道だ。


ぼくが宮崎に移住したタイミングで、ある人も宮崎にUターンして来たんだ。


宮崎の太陽こと、長友まさ美ちゃん


(まーちゃんについては、このブログも読んでみて!→Blog:超豪雨の家族旅行、直下降のテンションを救ったハイパーなトキメキ


宮崎でいろいろ活動していろんな人と出会った中のひとり。


飛び抜けてパワフルですっごい笑顔でエネルギーがステキなまーちゃん。出会った時から〝すげぇなぁ〟って感じて高いところにいる存在だと思ってた。


でも時間経って昔話してたら、むちゃくちゃ苦労して泥臭い毎日を送ってる最中だった事がわかった。


今になってそんな話しが聞ける同士みたいな仲間が宮崎にいる事がぼくの人生の幸せなところだなぁ。


あ、すぐ話しがそれる。とにかくそんなまーちゃんが突然


「おもろい人!会わせたいから今から行くわっ‼︎」


って連絡が来て、連れて来たのがROOTS FACTORY阪井氏。



(一番手前が阪井氏)


宮崎の太陽 まーちゃんに宮崎のディープスポットを案内されまくった阪井氏は宮崎のトリコになった様子。


事実、工場が燃えて人生どーしよーって時にも、なぜか宮崎に来てた。


そんな傷心の阪井氏が、片田舎の商店街でひとりぼっちだと言うのだ。


まーちゃんのFB投稿でそれを知ったぼくは、すぐに会いに行った。(その時のことについては阪井氏のこちらのブログをどうぞ





そんな出会いが繋がって、大阪や淡路島や東京でも楽しませてくれる阪井兄さん。


ついにはルーツファクトリーで特派員ブログを書くことに。


ぼくはFBで文章を書くだけで、これまでブログを開設した事もなかったんですよ。いっつもギリギリ(まにあってない)に記事を書き上げるポンコツなぼくなんだけど。


新しい事をはじめると新しい流れがあるから、書く時間捻出がしんどいけど続けてたら。(って4本くらいしか書いてねーな)


リサーチャーがぼくの特派員ブログを読んで連絡くれたの‼︎


そこからトントン拍子に撮影が決まって、わざわざ3回も宮崎に足を運んでくれた!


そんな番組『ナニコレ珍百景』が



8月11日18時半から放送されます!



たーくさんの友人やお塩のファンが喜んでくれてる。


え、こんなに喜んでくれるんだ?それがむちゃくちゃ幸せやん!


なんてすでに心がほっこりしてます。


さー、どんな風に仕上がってるのでしょうか。


みんなでパブリックビューイングしたい気持ちでいっぱいですが


ぼくが暮らす宮崎県では放送されませんっ‼︎笑


ぼくは観れるかわかりませんが、観た人は感想下さいね❤︎





あと、お塩の注文が殺到するよ!とディレクターさんが言ってくれたんだけど


ひとりじゃ間に合わないからっ‼︎


家政婦さん、お手伝いさんも大募集してます。


FBでカタカナで〝ネジ〟って入れたらたぶんぼくが出てくると思います。興味ある人はDMくださーい!


ではでは、お手柔らかに〜


お塩はこちらからご注文いただけます!
【Uchiwa商店】






塩職人 ネジ


25時間ぶっ通し作業の末、塩釜完成!「がんばる」について思うこと



「塩職人」「職業お父さん」…次なるステージは「YouTuber」⁇



命を食らう職業お父さん。人妻たちを虜にする魔法の白い粉にまみれて



33歳3児の乳。宮崎串間で自給自足の釜炊き塩職人ネジの一雫の宝物。




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